張家掌門人 3

[以下の掲載内容は、張志祥先生の了解を取って掲載をするものです。]

この話を読んで、張先生に以下のように、伺いました。

重慶に行くことを、遺言で勧めたのは、胡文甫(こぶんほ)師ではありませんか?

また、重慶に10ヶ月行って学んできたとは、誰に学んだのですか?
(お父さんと類推しつつ、わざと聞いてみました。)

その通り、大伯父の胡文甫(張志祥先生の母方の修練者)に言われました。

重慶の師とは、私の父親です。私の父親が、隠れて生活をしておりました。

しかし、このことは今までなんら公表はしておりません。
ここで、はじめてお話しできることです。

母親以外の者は知らないことです。
父は、正当な張家の伝承者として位置しておりながらも、その「沽券(こけん)」を捨てて、
自らの方途を自己で選ぶ道を選択しました。

歴史から受け継いだことではなくて、自らが体得したことをきわめて緻密に考えて、
それを開拓していく精神を持った人です。

伝承することを辞めたとき、父親は遙かかなた、重慶に居を構えて、隠遁生活を送ったわけです。

大伯父に言われるまで、父親に学ぶことはないものと思っていましたが、
極めて類を見ない貴重な体得をしておられたので、それまでの多くの師達に加えて学ぶことを許されたのです。

つじつまのあわないのは、承知なのですが、
父は張家の長子として生まれて、その道を捨てて、女房にその力を全て渡して隠遁生活をしました。

それは、元極功法が、四代目となるべき私によって花開く功法であるということが、
神によって事前に知らされていたからです。

父が、別の方法で、さらに功法に厚みをますために、より研鑽して、
師として他の事柄を息子に知らせたかったため、ということをも、付け加えておきます。
(つづく)

元極功法

Posted by masuda