生き方


神から、次のようなお達しが有りましたので、

お伝えしておきます。

「といし(無形の神具:打ち出の小槌などと同じで、顕界に現象として作用する)を引き上げます。

「といし」は二度と下りません。

これで「といし」を引き上げます。

今後は、『来たければ来る。来たくなければ来ない。』

『好転反応は出る。それが嫌なら、これでお終い。』

「といし」を下ろして苦しみに引き合わせ、

チャンスを与えることなど、ありません。

「といし」によって、チャンスが与えられた者は光栄だったのですが、

もう、チャンスは有りません。

今後は、苦しみのない分、もっと厳しいことになります。

「といし」は、厳しいように見えて、実は「あまやかし」でした。

我々の慈悲が、下りていたと思ってください。

今後は、二度と下りません。

一般の修練者には、「といし」二度と下りませんが、

日之本元極のスタッフ、講師達は別です。

度重なる試練が訪れる可能性は、大いに有ります。

生き方

目新しいことが、自分の視野を広げて、自分にとってプラスになります。

そうした場合には、必ず努力することが伴うのです。

努力をすれば、新しい事象への挑戦は、

必ず自分のものとなり、獲得したことはプラスになります。

しかし、分野が新しくなることは、負担も多いものです。

その負担から逃れる為に、次々と新しいことに勝手な想像を巡らせて、

希望を見いだそうと期待するのは、単なる悪い癖です。

どんな状況でも、びくともしないで、

我慢し努力して自分の力と化していくことこそが、

自己の成長に繋がるものであり、

現状から脱する為に次々と仕事を変えたり、興味の対象を移すことをしていては、

何事も成就することはありません。

然るに、修練者の中で、

そのように移り気に何かをやってみたいというならば、やってみるが宜しい。

その場面で、自分にはどんな努力が出来るのか?

決して逃げ出さず、懸命に努力するならば、

必ず力になります。

何をしても、どんな仕事でも、良いかどうかは、

全て自分の努力の成果と言えるのですから、

常に人の為に尽くせるように自己が成長することしか有りません。

身体は老い、体力はいずれ失われていきます。

その身体の能力の老化は、神々とて、人に対して止めることはしません。

修練によって身体の機能を高め、精神の充実を図りながら、

自己を成長させるのが、修練者として神の道を歩く者にとって、

第一に選択しなければならない道なのです。

その道を選べた者こそ、真のチャンスが与えられるのです。

イバラの心で、イバラの道を歩くのを止め、

柔らかで清々しい心で、神の示す道を、

縁ある者と共に歩くことを求めて行きなさい。

生き方

子供の教育について書いてありました。

私が東京講座で言ったことに衝撃を受けて、

「これじゃあお手上げだ」と、

少し投げやりっぽい書き方ですが、そんなことはありません。

例に挙げた特殊なことは、人の構造に関わることですから、

事故の無いように周りでいつも気を配るしか方法はないかもしれませんが、

そうでなければ親の接し方、方向の指し示し方で大きく変わるものです。


いくつも沢山、周りの例を見ていると、

現在の多くの親達は「過干渉」「過保護」過ぎると思われます。

最小限、何をすべきかと言えば、


・危ないこと


・やってはいけないこと


・人に迷惑を掛けること


等を教えて、成人するまでは保護してやることです。


それが両親の役割であり、

過剰に世話をする、過剰に干渉することが

子供を駄目にしてしまいます。


私二人の子の親でした

(もう、とっくに成人しているので過去形で書きました)が、

一般的には自分の能力を顧みず、

子には過剰な期待をしてしまいがちになります。

昔は、子供が沢山で、家計も貧しく子育てなんぞろくすっぽ出来ない生活で、

それでも子供は育つものでした。

現在の日本では、裕福で少人数の子育てが大半な訳で、

暇に任せて子育て論を勉強すればするほど

悪い結果を生み出すことを学ばなければなりません。

成人した子供達は突き放し、

それ以後自分の役割を全うすることに励めば良いのです。

それを三十過ぎ、四十過ぎまで金銭的な面倒を見、

日々の生活まで干渉しているから、親子とも脱落してしまうのです。

自分の子が、二十歳過ぎても自立していなければ、

ご自分の育て方を十分反省すべきだと思います。

何年か前に、偶然「七田式システム」の中核になっている部長さんと

2日ほどご一緒することがありました。

ご本人は非常に能力の高い、

一生懸命お仕事をなさる方のようにお見受けしましたが、

そのシステムのことや、目指す所を観じてみると、

少し私の考えているものとはズレを感じました。

生き方

「よく働く」と言われる人は、結構居るものです。

しかし、そのよく働く人の多くは、やましい人だと神は言います。

やましい者というのは、決して悪いことをするという意味では無く、

大変、努力家で、きちんと仕事もこなしています。

が、人のために役立つような生き方の基本が出来ていないだけのことなのです。

身を挺して、人のために尽くすということは、並大抵のことでは無く、 

日常的な行動の中で、それが出来ているともかぎらないのです。

日常的には、極めて大人しく、誠実で、人のために働いている人も大勢います。

しかし、根本的に自分の身を呈して、人のために働くことと、

身を粉にして働くこととは違います。

立派だと思われる仕事に就いている人達でも、やましい者はいっぱい居ます。

心底、「身を挺して・・・」ということが、染みついて生活していなければならないのです。

宇宙は、大歓喜に向かい、拡大し続けるのが大法則です。

その構成物である人は、その宇宙への貢献が存続の条件です。

社会への貢献、人の為に貢献するのが、その存在理由です。

個の繁栄ではありません。

まず個の繁栄を目的とすれば、必ず他の個に悪い影響が出るのです。

他に貢献して、社会に貢献し、世界に貢献し、宇宙に貢献し、

それが叶った時、当然、個にも繁栄があるのです。

対象と順番を間違えてはならないのです。

皆大歓喜 団圓寿福


画像をクリックして戴きますと、大きく御覧いただけます。

生き方

「といし」が使われています。

「砥石」ではありません。

「といし」です。

無形の道具、「打ち出の小槌」と、同じようなものです。

役割毎に、神が使う無形の道具が存在します。

神によって、今「といし」が使われ始めました。

気をつけなさい。

今までにも、何度か使われたことがありました。

「意思」を「問う」作業が始まっています。

「といし」です。

日之本が大きく変わる前に、「意思」が「問われて」います。

コレを使って、今現在、修練をしている者たちの、意志を問うています。

しっかりと気を引き締めて、気をつけなさい。

この「といし」を使って「いし」をとい、生き残るか、はたまた神上がるのか?

そして、はたまた肉体は死に、死ぬのみで意識は神あがらないか?

そういうことの、決定がなされます。

「といし」がもう一度使われています。

現在修練をしている者たちは、ひたすら修練をして、日之本元極に通い、

その存在を信頼しています。

しかしながら信じているように見えて、自分の身体の都合だけで修練している者たちもいます。

神は、ふたたび「といし」をつかい、それらの選別をしていくそうです。

なぜ、今の時期に「といし」を使うのかといえば、

「なにわに ちのあめがふるとき」が、近づいているからです。  

「といし」が使われるとどうなるのか?

それまで日之本に、神の力で引き寄せられていた縁ある者達が、本人の自由意思に任されます。

本当に日之本を信じ、人の為に働こうとする者には、何ら変化がありません。

自分の利益の為だけに修練する者は、直ぐさま離れていくことになります。

離れていくとどうなるか、今まで積み上げてきた功と徳がさっぱりと消え失せます。

そして、次の世に生き残れなくなるだけです。

離れた後に、気がついて、戻ることが出来るのか?

はい、戻れます。

元極には「来る者は拒まず、去る者は追わず」という掟があります。

但し、全くゼロからの御出直しです。

以前まで、どんな高みにいようとも、「階む」から、またやり直しになります。

以前はどんなときに「といし」が使われたか?

一例を挙げれば、

東北の震災後、全国から二十家族を超す修練者家族が高山に転居してきました。

それから暫くして、「といし」は使われました。

「高山に来れば、もう安心」とばかりに、

心が離れ修練をしなくなり、日之本元極にも来なくなった人達が数多くいます。

次の世に、残れぬ者達です。

同じくならぬよう、気をつけなさい。

画像をクリックして戴きますと、大きく御覧いただけます。
携帯 XPERIA Z1

生き方

本日、12月9日は、大ばばたぬきの誕生日です。

御年、95歳。

すごいなあ!!

大ばばたぬきは、日之本元極のマドンナです。

昨日も、休み時間の話の中心は、大ばばたぬきでした。

昨日、一昨日の大雪集中錬功会にも出席し、

行き帰りは手押し車を押して徒歩で通ってくるのです。

週に4回ほど、デイ・サービスのない日は、

修練二時間半、更に貫頂帯功を30分受けて帰ります。

この生活を、もう二年半続けています。

あなた、真似出来ますか?

出来れば勿論、長生き間違い無しです。

私が中学生の頃、マドンナと呼ばれていた女の子が居ました。

(今ではおばあさんでしょうが・・・・)

そんなにかわいい方でもないのに、そう呼ばれたのには、訳があります。

仮性近視になりかけていたその子は、

「近くをあまり見続けないで、なるべく遠くを見ると良いよ。」

という言葉を信じて、放課時間はいつも窓から遠くを眺めていたのです。

「窓の女」―――>「まどおんな」―――>「マドンナ」

となったのです。

画像をクリックして戴きますと、大きく御覧いただけます。

生き方

超能力・潜在能力と気功・功法 気功教室 日之本元極 with キャノンS90,シグマDP1,サイキック写真-日之本元極 気功 生き物

写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。

生き方

「元極ニュース」の新年号に書いた記事の続きです。

人が生きる期間・寿命というのは、生まれるとき既に決められています。
それは最大限生きて、いついつまでと決定されています。ある特別な場合を除いて、
どんな事があっても、それを超えて生存する事はありません。

しかし、生き方によって短くなる事は往々にして存在します。
我々の功法とて、決められている寿命以上に生かす事など不可能です。
ほとんどの者が、自ら縮めた命を本来生きられるであろうところまで最大限伸ばす事は可能です。

日之本元極は、そうしたお手伝いをしているのです。

今回の依頼者の場合、最初から決められていた寿命と、
今迫っている寿命の差がほんの数週間しかなかったので、お断りをしました。
費用対効果がないからです。
ほんの一、二週間の延命のために施術費用はいただけません。

それでも、親戚である修練者から薦められ、
ご家族は病院内のベッドに場創りセットをおいたり、カードなどの日之本パワーグッズや、
天のまなみなどを使っていただき、ほぼ最大限にその寿命を伸ばされました。

そして最後に、臓器提供を決められたのです。

ご家族が場創りセットの結界の中に入ると、自らの疲れも改善していく事などを体験され、
我々の言っている事とその作用の有効性を信じて下さるようになりました。

後日、残されたそのご家族からお三方が受講される事になりました。

この例のように寿命を生ききる人は、非常に希有(けう)な事なのです。
自らの決まっていた寿命を全く生ききった場合、
残された肉体は単なる物質といえますから、臓器提供は悪いとも言えません。

もちろん、ご家族の心情的なものは別問題です。

しかし、まだ引き延ばせる寿命を持っているほとんどの事例では、
「脳死」の時点での臓器提供は殺人と言わざるを得ません。

そうした本当の「脳死」状態とは何かという事を、
皆が理解して更なる議論に繋げていってほしい
と思っています。

超能力・潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with キャノンS90,シグマDP1,サイキック写真-済み

写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。

生き方

「元極ニュース」の新年号に書いた記事を、このブログを見て下さっている皆さんに、前もってお送りしようと思います。

新年にあたり、そして、終末の時がますます近づいている年頭に、一つ重すぎるお話をいたしましょう。

昨年、脳死と判定された者の家族の同意により、臓器提供が可能となる法律が出来ました。
すぐさま我々の身近でも、実際にそれが行われる事を経験したのです。
そこで、もう一度この「脳死」について、どういう事なのか詳(つまび)らかにしていきたいと思います。

お医者さん方は、コントロールタワーである脳が停止をしたのだから、
コントロール不能の肉体はもう死んでいると判定してもおかしくないと考えているのでしょう。
確かに肉体は脳によってコントロールされています。
よって、肉体の中で一番エネルギーを消費するのは、脳である事は、医学的にも明らかになっています。
その事実が、真実に迫る大きな鍵となります。

人の身体は、それを守るために免疫力など、幾重もの防御機能を持っています。
それら幾重もの防御機能を使い尽くしても、
生きるか死ぬかの瀬戸際まで追い詰められたとき、人は最後の防御機能を発動します。

それが、脳の機能停止なのです。

肉体が最大限に復活のためのエネルギーを使う事が出来るよう、脳を一時的に停止し、肉体の回復を図ります。

しかし、それはぎりぎり精一杯の「徳俵(とくだわら)」とも言える行為であるが故、
助かる確率は非常に低いと言えます。
低いとは言えますが、そこから生き返った例が何例もあるのです。

その生き残るための本人ぎりぎりの戦いを、家族が了解したとはいえ、
終焉させても良いものか、もう一度本当の事実を知った上、議論していただきたいのです。

如何に家族といえど、いや、家族だからこそ本人の了解もなく、命を絶ってしまって良いものか?

こうした事を鑑みて、我々は基本的に「脳死」による臓器提供には積極的にはなれません。

けれども、前述の身近な例では、ご家族の延命の施術依頼をお断りしました。
それは、以下のような理由からです。(つづく)

超能力・潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with キャノンS90,シグマDP1,サイキック写真-済み

写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。

生き方


超能力・潜在能力と気功・功法 気功教室日之本元極 with キャノンS90,シグマDP1,サイキック写真-日之本元極 気功 生き物

写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。photo by CANON S90