瀧原宮・瀧原竝宮(6)

昨日、ご紹介しました瀧原宮の御由緒は大きく実際と食い違う所があります。
第10代崇神天皇の御統治の頃、この宮に移ったのは、天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)ではありません。

崇神天皇が、最初に娶(めと)った遠津年魚目目微比売(とほつあゆめめくはしひめ)は、早くなくなったようで、その後向かい入れた意富阿麻比売(おほあまひめ)との間に四子をもうけました。

しかし、第11代天皇を継いだのは、三人目に迎えた御真津比売(みまつひめ)の命との間に出来た6人の子の内、長子・伊玖米入日子伊沙知命(いくめいりひこいさちのみこと)=垂仁天皇でした。

この垂仁天皇が継がれることが決まったとき、 意富阿麻比売(おほあまひめ)と、その御子・八坂之入日子命(やさかのいりひこのみこと)は、崇神天皇に仕えていた部下を与えられ、宮をお移りになられたのです。

瀧原宮は、八坂之入日子命(やさかのいりひこのみこと)が入られ、瀧原竝宮には、意富阿麻比売(おほあまひめ)が祀られています。

この時代、世継ぎが決まれば、その他の皇妃と御子達は別宮に移るのが習わしになっていたようです。
(つづく)

瀧原宮
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瀧原竝宮
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