節食、絶食、断食、絶飲食、僻穀の意義―1

近頃、テレビ、マスコミにおいても、人々の話題の中にも、飲食に関連する物の比重が非常に多くなっていると思われる。
特にテレビでは、毎日あさから夜中まで、「あそこのこれが美味しい」とか、「ここの何それが、まいう~!」とかいい、大食い番組まで頻繁に組まれ、高価な料理を沢山食べることが美徳のように奉じられている。

こうした食に関する番組専門のようなタレントも多くいて、それらの人々は痩せると仕事が来ないというように聞いたことがある。
まったくもって、今やこの日本は、デブと大食いを礼賛する社会に成り下がってしまったのかと愕然とする思いである。

世界の各所で、毎日多くの人々が餓死しているという現状の中で、自分たちだけが鱈腹食らい、糞尿垂れ流して、多くの食糧を日々廃棄している。
捨てる位余っているなら、足りない所に何故施すことが出来ないのか?不思議でならない。

確かに、ある素材をどう料理し、美味しい物に仕立て上げるかということは、その積み重ねとして文化の創造と言える。
その地域の食材をそこの風土に合わせ、調理する。そのことが一番身体にも、その場所にとっても良い消費方法であることは間違いない。

近年、地産地消という言葉が盛んに使われているが、実際には、食材の六割以上が外国産であるという体たらくである。
今住んでいる所の風土で育った、食材をその風土にあった処理方法で調理し、過不足なく戴く。

これが本当の地産地消であって、文化に繋がる所行であり、健康の秘訣と言える。
決して食べ過ぎてはいけないのである。

「腹八分目」
昔からの言い伝えであるが、これは一般的な人々に言えることで、修練者にあっては、無形の三元エネルギーを取り入れることが出来る訳であるから、上級になればなるほどその比率は下がっていくことになる。

この延長線上に、節食、絶食、断食、絶飲食、僻穀等の概念と、実際の事象が存在するのである。(つづく)


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