「東・西・南・北」と「右・左」 そして「陰・陽」 2008.03

年に数回行っている特別講座の中で、今まで3回ほど高山市一之宮町にある位山(くらいやま)に登りました。位山は霊山として知られ、「すの神」が地球を創られるとき、ここを最初の地とお決めになり創造されたとも聞いています。場を感じられる方には、その素晴らしさが判って戴けるものと企画したものです。

位山には、中腹にあるモンデウス・スキー場の直ぐ横に、「祭壇岩」という平らな舞台のような巨石があります。古代から神を祭るときに使われた祭壇といわれています。また頂上より少し下った所には「天の岩戸」と呼ばれる岩倉が存在します。車で上れる「だな林道」の終点から頂上まで、登山道の両脇には巨石群といわれている大きな岩がごろごろと配置されているかのごとく繋がっています。
地球で最初に出来た位山に、「すの神」を始め、多くの神々が初めて地球という地に降臨されたと伝えられているのです。
その位山から日の出を望むとお考え下さい。当然の事ながら、前は東、後ろは西です。左が北で、右は南になります。この東、西、南、北という方角を指す言葉は、どこから来ているのでしょうか?
前は日(一(ひ))です。そうすると後ろは月(二(つぎ))なのです。まず「一(ひ)向(む)かし」、これが「ひむがし」、「ひんがし」、「ひがし」と変遷したものと考えられます。
後ろに月を背負い、「二(つぎ)」で、「二(に)し」となります。
神々は「日」に向かい、「月」を負い、左に「火」を従え、右に「水」を連れ添います。この時やはり「右」「左」という言葉が発生しました。

「火」は垂直に立ちのぼります。その様を「火(ひ)の垂(た)り」と言い、「ひだり」に変わっていったのです。「水」の水平線は、「水(み)の極(き)り(極とは2点間をピーンと張った状態を示す)」と言って、「みぎり」に変化したものです。

位山から東を望み、「ひだり」は「ひだ」です。「みぎり」なる「水(み)の極(き)り」に当たる地は、「みの」と呼ばれています。
「ひのたり」の方角に「ひた」があり、方向も「ひた」では混同するので、いつしか方角の呼び名は「きた」に変化したようです。よって「ひだ」という地名は、平仮名であって、現在使われている「飛(と)んだり、騨(は)ねたり」の「飛騨」ではないのです。少し前まで使っていた「斐太(ひだ)(文に非ず、言が太い、素晴らしい)」という漢字には、「言霊幸(さき)はう」の意味を持っていることから、響きでこれらのことが実現したことを良く表していると思います。
「水(み)の極(き)り」つまり水面には波が立ちます。「水(み)の極(き)り」から「水(み)の波(なみ)」そして「みなみ」へと変化しました。
この「きた」と「みなみ」の「き」「み」は、陽と陰を表しています。「いざなき」「いざなみ」の最後の「き」「み」のように、男と女、陽と陰を示しているのです。
これが「東・西・南・北」と、「右・左」という言葉の起源です。

「位山」と「ひだ」、
この地は特別な所のようです。
大方の神社で、六月末日と大晦日に奏上される大祓祝詞という祝すが、神道の中では、一番と言って良いほど大切な祝詞として扱われているそうです。その内容が良く判らないまま、そして伝えられる内に多くの間違いも生まれて、伝承され、奏上されてきているようです。その中に、
「・・・如此依(かくよ)さし奉(まつ)りし四方(よも)の国中(くになか)と 大(おお)日本(やまと)日高見(ひだかみ)の国(くに)を
安国(やすくに)と定(さだ)め奉(まつ)りて・・・・」
という件(くだり)があります。これを殆どの国文学者や、神道学者、神主さん達は「大和」の「日高見の国」と解釈しているようです。しかし本当は、
「・・・如此依(かくよ)さし奉(まつ)りし四方(よも)の国中(くになか)と 大(おお)日本(やまと)『ひだ』、『神』の国(かみのくに)を
安国(やすくに)と定(さだ)め奉(まつ)りて・・・・」
と読ませるのが正解なのです。元の祝詞が平仮名であるもの(響きを平仮名に移した)を、無理矢理漢字を当てたが為の間違いと言えます。
旧飛騨にあたる高山市、飛騨市等の地域には、異常なほどに神社が存在し、現在404社(飛騨神職会発行「飛騨の神社」より)も残っています。これでも昔に比べ、合祀(ごうし)した神社がかなりあり、減っていてこの数です。
私は以前、関東のある市に住んでいましたが、市内にある神社は10社に満たない数だったと思います。
「ひだ」の土地が、如何に神々と繋がりの深い土地かということが、良く判る数字ではないかと思います。暖かくなってから今年の特別講座には、気の場の良い飛騨の神社数社を巡ったり、特に選定した「場の良い所」に皆さんをお連れする企画をしてみたいと思っております。乞う、ご期待!!