「日本美術の至宝(前期)」に行ってきました。
会期は9/17まで。あまり時間がありません。
後期は9/29から12/9まで。
下の一枚目、曽我䔥白「雲龍図」を除いて、総入れ替えだから、また行かなくっちゃ。
帰ってくる時、ものすごい数の龍が、新宮まで移動するって言って、ついてきました。
シグマDP2Merrill(メリル)
日之本元極によって開発される数々の潜在能力、功法の原理など
その後、1999年の法輪功事件の余波を受け、元極功法の普及禁止、
蓮花山の観光地化等を経て、中国でも日本でも情勢は大きく変化していきました。
そうした中においても、私は2000年から2006年に掛け、
日本の修練者を集い、何度も蓮花山に足を運んでいました。
そんな2004年のある日、蓮花山で15日間過ごすように声が下りたのです。
それまでの蓮花山行きは、多くの同胞をお連れしての訪問でしたから、
なかなか訪問中に自分の練功時間を確保することが出来ませんでした。
一人で訪れたのはこの時が始めてのこと。
滞在中は、三度の食事時間と、シャワーを使う時間、
日に3時間ちょっとの睡眠時間を除いて、
全て部屋に籠もって修練漬けの毎日でした。
これが私の「閉関」といえるのか判りませんが、
外界と隔絶して行った修練の一つになりました。
シグマDP2Merrill(メリル)
1996年の夏頃だったと記憶していますが、
蓮花山で50日間の「閉関」をするから希望する者は応募しなさいという連絡がありました。
その頃、私は東京で、小さな会社を運営していましたから、
50日間のブランクは、社長として廃社に通じるものでした。
しかし、その時やっている仕事などは、同じように出来る者が世界中に何百万、何千万人もいるのに対し、
その時の自分の功力からして、同じレベルで元極を通じて世界に貢献出来る者は、五人といないと思い、
会社は家内に託し、元極に生きる決心をしました。
まだ二人の子供達が小・中学生の時でした。
日本から応募したのは、私一人。
仕事を整理しながら、修練時間を多くして中国に発つ日を待つ毎日でしたが、
渡航の3日前になって、「閉関」中止という連絡がありました。
理由は、応募人数が多すぎて受け入れ出来ないというものでしたが、
今思うに、私のレベルがまだその段階に達していないのを、
張先生が御覧になって止めたのかもしれません。
未だ嘗(かつ)て張先生の元で、「閉関」をしたというのは、
たぶん、中国元極学研究会副秘書長だった辛勤女士だけしか耳にしたことはありません。
しかし、当然のことながら、
一番弟子であり同会秘書長であった余開記老師や、
娘である冬梅さんはされていることだとは思います。
先回、
「閉関を始める時には、竅穴がすべて準備されて、準備が整ったということを示しています。」
と書きました。
それについて追記しましょう。
全ての竅穴が整わない状態で行う閉関には何の意味もありません。
意味がないどころではなく、大きなトラブルが生じます。
蓮花山で講座が行われていた時代、毎回のように出席していた韓国の団体がありました。
その団体の会長である OOOOOさんは、非常に積極的な行動力溢れる方でした。
それが二、三年経った頃、暫く見ないなあと思っていた矢先、精神的にも肉体的にも体調を崩し、
張先生に教えを請いに来てみえるのを、見ることになりました。
修練も積極的にしているようだったのにどうしたことかと思っていると、
一人山に籠もって功力を上げようとされたのことでした。
張先生のいろいろな指導により、健康は回復したようでしたが、
それ以後、彼とは二度と会うことは叶っていません。
功法における「背伸び」は、自滅に繋がります。
先哲の教えを忠実に守るべきです。
普善禅師のご説明の続きです。
モノはモノ、人は人ではなく、モノや人と人が関わり合って生活をしていくわけです。
この世の中にあって、人が他の人やモノと関わりを持たなければ、それは、
人として生活をしていく活力もエネルギーもわかない訳です。
かならず、周囲と関わって、生活をして生存しているわけです。
しかし、個を確立して、関を閉じるということは、個が一つの偉大な存在として成長していくためには、
周囲との関係を絶つことが、ある期間必要不可欠なわけです。
ある一定の時間を一つの事柄に執着しないで、時を過ごせる精神力を養成します。
一つの個を確立し、どんな状況でも、耐えうるような精神力を養うためには、
閉ざす必要があります。
個は、世間と通じる関係を持たないばかりではなく、
個は内を見つめて、内の精神を改善していく必要があります。
ですから、個を閉ざすわけです。
個としての存在は、自分自身を見つめる時間が必要だということです。
また一方、竅穴を閉じるということは、その竅穴は一つの存在では、無くなるということです。
全体として一つとして働くということです。
ひとつひとつの竅穴が動くのではなく、
全ての竅穴が一つのモノとして動き始めるということです。
つまり、球体。
存在する全ての竅穴が一つの球体となって、総合的に動き出す訳です。
閉関を始める時には、竅穴がすべて準備されて、準備が整ったということを示しています。
閉関するならば、竅穴は、和合して一つずつ独立していたモノが、すべて、協力体制になり、
一つと一つが二ではなく、十にも二十にもなるような協力体制のとれる、
エネルギーの球(たま)となるということです。