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功法


時代劇の闇討ちをする場面などで、
「やって来るぞ。殺気を消せ!」
等という台詞を聞いたことが有るでしょう。

考えを巡らせているうちに、
「そうか、何か気配というようなものが、違うのかもしれない。」
と、思うようになりました。

つまり、生命活動をして動いている自分が、周りの環境と同化していれば、
外から感じてみた時、差異を感じることが出来ず、
うっかり至近距離までニアミスしてしまうのではないか。

上手く修練が出来ている時、効能体になっている時には、
環境と同化出来ている=天地と一体化に近づいているのではないかと考えたのです。

これが、師の言われるところの「天人合一」への道なんだと、納得出来たわけです。

それでは、ドラマのように気配は自在に消すことが出来るのか、
時代劇の脚本は、やっぱり作り物ではないのか、疑り深い僕は自分で試してみたのです。

ある日早朝の修練中、
よりにもよって動功をして動いている私からほんの2,3メートルの所にある手すりに野鳥が止まったのです。

いたずら心を起こした僕は、
「一体何処まで近づくことが出来るか、試してみよう。」
と、修練中の状態をなるべく変えることなく、ゆっくりと近づいていきました。

すると、ほんの2、30センチの近くまで近づいても逃げないではありませんか。
更に手を近づけ、触ろうとした時漸くパタパタと飛び去っていきました。


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風景

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功法


今から十七・八年前、三階建ての自宅@東京の屋上で、
毎日朝5時から二時間から二時間半くらい、動功の修練をするのが日課でした。

東京の遅い日の出は、その時間帯であれば、夏でも冬でも必ず見ることが出来ます。
ですから、晴れていれば、必ず日の出を見逃すことは有りませんでした。

更にすてきなことは、真冬の快晴の日は、西の方向に富士山が見えることでした。

そんな早朝の修練中、動功をしている私のすぐ傍ら
――身体から4、50センチの所を武蔵野に生息する野鳥が飛び抜けていくことが、度々ありました。

修練をしている以外の時には、屋上であろうが、他の場所であろうが、
そんなことは一度も経験したことがありません。

修練中とその他の場合と、何が違うのだろう?
しばらくの間、
考えていた期間がありました。







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形示し

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食べ物について

三里ツボは何故三里というか
判らなかったので調べてみました。(ウィキペディアにて 2012/08/09)

一里は骨度法で一寸という意味で(犢鼻穴)の下三寸から名づけられた。
他に三焦(上焦・中焦・下焦)の疾患を治療する経穴から名づけられたともいわれる。
古くから経穴の代名詞として、文学・落語・歌舞伎などにもよく登場している。
松尾芭蕉の「おくのほそ道」のはしがきに
「ももひきの破れをつづり、傘の緒つけかへて、三里に灸すうるより、松島の月まづ心にかかりて……」
というところがあり、中学の国語の教科書にもしばしば取り上げられている。
三里に灸のあとがない者とは旅をするなともいわれていた。

ということらしい。
「三里」から、
子供の頃、母がサツマイモを蒸かしてくれた時などに
「栗より美味い十三里」とよく言っていたのを思い出しました。

この意味判りますか?

江戸時代から、
河肥(埼玉県川越)という土地は、芋で有名だったようで、
川越は江戸から約50キロくらいの位置にあり、
「九里四里(合計十三里)美味い、十三里半(about equal 50km)」が元らしい。

母は、東京生まれだったので、こんな言葉も覚えていたのかもしれない。

オッと、邪気と全く関係のない話になってしまった。

でもないか、
十三里、食べ過ぎると所嫌わず「邪気」が出てきますよ。

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