ピカソ 再び (2)

修練を積み、エネルギーに敏感な者が、ピカソの絵を見ていると中丹田、中黄庭などの、お臍の高さにある竅穴にエネルギーが入ってきます。それは、どうしてか?というと、中丹田、中黄庭、命門という竅穴は、人の生命に直接そして大きく関係する竅穴だからです。
ピカソの作品からは、生命のほとばしる様なエネルギーが発散されています。
自分の作品について、ピカソ自身がそのあたりの解説をしています。

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私の絵は、見る者に感動や感銘を与えるような絵では、ありません。カンバス上には、ある私のエネルギーやモデルのエネルギーが凝縮して乗せられています。このエネルギーのやりとりによって、私は成長し、彼女たちは、かわいそうにもエネルギーを奪われてしまう、という結果になりました。もちろん、その時、私はそういうエネルギーのやりとりが、具体的に起こっていたということなど知るよしもなかったのです。

カンバス状に描かれた絵の詳細を見て取ったり、分析しようとするのではなく、ほとばしり出るようなエネルギーの存在を感じて受け取ってもらった方が、そのものの本質を見極めることになるでしょう。
私の絵の技法など、評価されるべきモノではありません。簡素で爆発的な思いで、描き殴っている、思いの丈を描いているだけのものです。
評価を受けるとするならば、感性、感情、人の生命に関わるほどのほとばしり出るエネルギッシュな無形の意識やパワーの躍動が、このカンバス上にあることです。

絵画の善し悪しは、客観的に第三者が、それを評価するべきではないと私は考えています。善し悪しを決定するのは、描いた者の充足感、充実感、満足感であると私は考えています。さらに、モデルとなっているモノとのエネルギーのやりとり、交流がうまくできたならば、結果的に人の心を感動させる「絵画」が存在することになります。

第一義的に描いた者の「満足」が、まずあることです。不完全な気持ちの延長線上には、人の心を動かすほどの感動は存在しないからです。それは、絵画だけに留まらず、あらゆる出来事に共通するものです。不完全な、不満足な自信のない結果では、人の心を満足させることなどあり得ません。
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(続く)

今、国内三カ所でピカソの展覧会を開催しています。いずこも会期明日までです。
巨匠ピカソ愛と創造の奇跡   国立新美術館    ~12/14
巨匠ピカソ魂のポートレート  サントリー美術館  ~12/14
ピカソとクレーの生きた時代展 名古屋市美術館   ~12/14


写真をクリックすると大きくしてご覧になれます。 ピカソ 「家族1970」

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