食べ物とその生産について―2

現在、世界中で生産される食糧を遣り繰りすれば、餓死する人々など出るはずもないのである。

ここ飛騨の地では、いまだに「サツマイモのつる」を食べたり、「ころいも」といって、
直径1~3センチ位の、他の地方では投棄している芋を煮て食する文化が残っている。芋のつるなど、私が子どもの頃より何度も母親から聞かされた戦時中の話の中で出てきただけの物である。今でも食べられているとは、高山に来るまで知る由もなかった。

国でしないのであれば、一人一人が考えて生活するしかないであろう。
・必要以上に食べない。
・無駄に捨てない。
これだけでも、どれだけ他人に回せる食糧が生み出されるであろうか。

更に、形の揃った野菜しか売らない農業ではなく、不揃いでも元気で美味い野菜や果物を作る農業を国として推進すべきでないのか。

我々が感じるに、動物の肉は波動が悪く、身体に良くない。魚類にしても大型になればなるほど波動が悪くなる。
当然のことだ。食物連鎖は、邪気の重畳連鎖である。

こうした物を完全に食べることをやめることはないが、頻度を少なくすることで健康に好結果を産み、人がその飼料のまま食糧にすれば(或いはその農作地で別の物を生産すれば)、更に多くの農作物が人の食糧となる。
(つづく)


ペタしてねペタしてねペタしてねペタしてね

ペタしてねペタしてねペタしてねペタしてね