もとつきわみ図とゼロ磁場 【気功講義 Vol.9】
我らが師こと「カメ仙人」の気功講義をご紹介していきます。
昨日に引き続き「伊那谷・長谷村の分杭峠とゼロ磁場」について、3回シリーズの2回目です。
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伊那谷・長谷村の分杭峠とゼロ磁場 2/3
元極の普及基地であった中国蓮花山にはゼロ磁場があり、且ついくつかの龍穴が存在しています。ゼロ磁場と龍穴というのは、全く別の問題です。ゼロ磁場が蓮花山にあるからといって、龍穴とゼロ磁場と混同して説明してはいけません。ゼロ磁場は、特徴的に蓮花山の山々にもたらされた自然の原理です。
しかし、それは、どこにでも存在するモノではありません。ましてや分杭峠は、ゼロ磁場ではありません、指摘したのは、龍穴があるということであり、それは、それほど大きな龍穴ではありません。その一帯を潤すような龍穴ではなく、たまたま、そこに見いだすことが出来たということであり、日本一場が良いということでもありませんでした。
著名な者が一言言ったことを、あてはめて歪曲して解釈してしまう。しかもその者が、否定できない立場にあるのを良いことに議論は、暴走し功利的に利益が上がるように、作話されたものにすぎません。
前述の様に、断層があるところの磁場がゼロになるという後付け的な解釈も全く無効なものです。
龍穴とは、風水でも明らかにしている様に、地面の下を流れる気の流れ=龍脈が地上に吹き出している部分のことを言います。
分杭峠の龍穴は、本当に偶然、人工的に出来上がったものです。1420メートル位の高さの分杭峠を背にして、粟沢川、三峰川沿いに右に地蔵岳、左に戸倉山の裾に挟まれて真ん中に低い谷が出来ています。この谷の先に人工的に美和ダムが造られていたのです。
この山を背に、両翼を高く挟まれ、先に水を望むこの形が龍穴を生む、典型的なそして風水的に絶好の地形なのです。人が何もしなければ生まれることもなかったこの地に、ダムを造ることによって偶然に龍穴が出来た訳です。そうかといって同じ地形を造ったら、必ず龍穴が出来る訳でもありませんが・・・・。
続く・・・
功法の伝統について
元極功法は既に言及されている様に、人としての沿革において、中国、元・金代の太一道に端を発したものです。太一道で二十数代続いた後、明の時代、普善禅師により元極道へと道を拡げました。以後張志祥先生に至るまで、五代に渡って引き継がれてきました。
そして日本へとバトンタッチされたわけですが、この流れの中で、一貫して「一子相伝」の掟は貫かれてきています。
更に、道教から始まったこの教えは、道教という一宗教に縛られることなく儒教、仏教をも、その柱とし、諸子百家の長を取り入れ、短を廃し、功力を増してきました。
日本に継がれたことで、神道の奥深さも身に着け、万全の功法へと登り詰めたわけです。
この元極功法の伝統は、単に八百数十年の人による継承に留まらず、つまり中国から日本へという次元のことだけではないのです。これは、有史以前からの神の計画によって、神々の手で人を使い、世界へ広めるという事が実行された結果だということです。
この「階ひと」の段階でどうしても知らせておきたいことは、この功法の数々は、伝統的な手法によって伝えられたものであり、この元極功法は、神の意図によって脈々と受け継がれて、今、「日之本元極に引き渡された。」という点です。
それは、中国であるとか、日本であるとか、(そういう宗教的な土台は借りて使われいるものの)国、人、国境に関係なく脈々と受け継がれてきたということをしっかりと受け止めて戴きたいのです。単に、「中国の伝統が日本に受け継がれている。」だけではありません。
このことは、「世界に拡げる為の功法」として、もっと広く必然的な流れとして日本で受け継がれているのですから、国境を越えた功法であると認識して欲しいのです。